2022.6.16 ママさんどーも。また、アラブの中古車やさんが現れた。

2022.6.15  梅仕事の只中にアラブの中古車やさんが、名刺の束をトランプのように開いて中の1枚を取り出して「ママさんどーも」とやって来た。私は「ノー仕事中」と応じた。理解はできたようで白い車の運転手付きで帰って行った。背は高く落ち着いた対応だが、トランプ様式が可笑しい。意外さが受けるのかも知れない。

今年はシロップと梅干しだけにしたが終わったのは夜も遅かった。庭仕事も終わりと思っていたのだが、あ!枝切りがいるとか、バラ垣が破損していたとか毎日今日はなにか1件するように窓から眺めながら今日の仕事を決める。昨日は梅仕事の前に忘れていたエンドウ豆の支柱たてとどこから飛んで来たのか芝が通路に穂を立てているのを草削りで剥がす。根がしっかりしているので剥がすのが相応しい表現に思われる。

 

もう1件玄関先に子供の頃みかん草と呼んだ香りのある草が現れた。ターシャテユーダの本の中に電話の発明家ベルがアメリカ全土を講演しながらポケットにいつもルピナスの種を入れ撒いたと伝えていたのを思い出す。みかん草と呼んだ香りのある草と検索するとりんご草という人もいたりしたが、載っていました。みかんの匂いの雑草 Vivreさんのページにコシカギクとありました。別名:オロシャギクでした。

コシカギクから<野の花賛歌>さんのページに飛び コシカギクMatricaria matricarioides   帰化植物 アジア北部 北アメリカ原産とありました。

 

私がこの草で遊んだのは小学1年から4年までを過ごした幕別町ですが合板工場があったが輸入材も扱っていたのかは判らない。

 

テレビの無いラジオだけの暮らしだが、週に何本かの楽しみがある。

2014年春 子どもたちと日本平動物園に行った時であるが、爬虫類館に入るとたくさんの人たちが覗き込んでいるケースがあった。順番を待って進むと中に泳ぐように白蛇がいた。箸墓古墳大市墓の姫に通ったのは紐のような白蛇の神であったので私は息を呑んだ。とんぼや普通の蛇のようなガラス質の輝きはない。チョークのような白さである。

 

なぜこのものたちと一緒にお前が見るのかと叱責された。

いまもって判らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.5.26 身欠きニシンを買う。産地はアメリカ。

いつも近くのスーパーで買う身欠きニシン(本乾)の倍の大きさの身欠きニシン(500g)が出ていたので産地を確かめる。原材料はアメリカであった。冷凍で保存されたニシンを流水で戻し北海道で加工されるのだそうだ。ロシアのウクライナ侵攻以来ロシア産品は買わないことにしているので、私はアメリカ産の身欠きニシンを買ってきた。季節的には秋から冬に使うことが多い。ニシン漬けは子どもたちにお正月前に送るのが常である。お正月には母のように昆布巻きにはこの身欠きニシンを使う。ことこと長時間とろ火で作る。大鍋いっぱい作るには750gの身欠きニシンを使う。お正月が明けて再び静かになった日常に戻ってゆくときもこの昆布巻きとべったら漬けニシン漬け。母は鮭の飯寿司を1月前から作ってお正月の準備をした。当時は鮭の塩抜きからだから時間はもっとかかっていたのだろう。私は母に習っていなかった。これから始めたいお正月料理の1品である。   

 

ロシアがウクライナ侵攻を止めるまではロシア産品は買わないことにして、もう1つ困ったものは山菜の水煮である。わらび、タケノコ、きのこ類が1パックになっている。生産者が中国やロシア産のものをミックスしているので、簡単に炊き込みご飯を作る大事な1品が手に入らなくなって単品でロシア以外の産地のものを探すことになった。生産者は売り上げが落ちて原因がわかるだろうか。消費者の動向に変化があればそれは察するのではないかと思う。おばあさんの日常に影を落とすロシアのウクライナ侵攻がこんな形というのも笑えますが。

 

昨日で今年のバラの定植が終わった。枯れたバラも数本あって土を掘り返してみると表土がなく砂になっていた。気がつかなかった。草取りは大事というけれどそんな一手間に木々や草花の変化に気づくことになるのだろう。冬期間室内の鉢の土がスプーンで掘り取られたのと同様のことであった。

 

春仕事は終わった。

 

 

 

 

 

2022.5.24 2017年からのアマゾン復帰

私にとってアマゾンは片田舎に暮らしてもそれなりの暮らしを実現できる手段であったが帯広に来てからアマゾンへの送金の記録は2017年で切れていた。アマゾン復帰の最初は金魚の為の水作エイトと外周ようの防犯ライト青白色だった。しかし送金するのに3箇所銀行のATMを廻った。ゆうちょ銀行はATMのトラブルで使用できないし復旧の目処も立たないと断られた。やむなく北洋銀行に向かうがPayEazyのボタンが見つからず向かいの信用金庫でも試みる。ともに見つからず再びゆうちょ銀行ATMに戻る。PayEazyボタンがあってようやくアマゾンの支払いを済ませた。地元の銀行である北洋銀行のシステムにもPayEazyボタンがあってほしい。今や携帯で決済できる時代とは言え成りすましやハッキングが横行することを思えば銀行のATMは身近な信頼できる装置なのだから。

 

課題であったアマゾン送金ができて前回買った細身のラベンダーを探しに苗やさんまでゆく。

この時期の苗やさんはいつも混んでいてラベンダーは前回のものとは変わっていた。色も香りもはっきりしたラベンダーになっていた。そのほかに1株種から発芽したばかりのアスパラを買った。日の燦々と当たる場所はそうないのだけれど、どこかにちょこっと植えてみる。喜茂別の畑にはたくさんあったチャイプとイチゴも買ってみた。

 

雪が融けてから雨らしい雨が降らぬ庭はからからだったが昨日僅かに小雨になった。後4本バラを植え手前にラベンダーを置くと春仕事が終わる。

 

春最初に蒔いたアスパラ菜の蕾が出てきた。蕾を収穫して秋まで食べられるということなので

今年は長く収穫できるように摘み取りかたを工夫したい。去年は根を抜いてしまったので収穫期が短かった。アスパラ菜は育て易く彩もよく重宝であった。山東菜は出来すぎて食べ切れなかったが美しい黄緑に惹かれて今年も蒔いてしまった。

 

枯れてしまった強健だった小輪のコーネリアの土を掘り返してみた。その場所は砂地で表土もほとんどなかった。これから少し土の状態を見ながら補強していかなければならない。

 

いままでアクセス解析などを見たことがなかったが今回からみるようにしていた。お昼の数字が今見ると全く違う少ない数字に加工されていた。

 

 

 

 

 

2022. 5. 20 アマゾンでお買い物をする。なんと久しぶり。

成りすまし君の被害にあって、パスワードを入れてもボタンを押す直前に1文字追加され

アクセスできないできた。結果今まで使ってきたアマゾンも使えずあれが要るこれが欲し

いと子どもたちに頼んできたのであるが、後30年を如何に生きるかと切り返すと自分で

なんとかしたいと春の柔らかな日差しの中でトマトの苗を何処に植えようか考えながら

思案する。春と秋のどちらが好きかと問うのは万葉の時代に遡るが私は春が好きである。

北国では萌え出る木々や草の色その質感は春ほど鮮明になることはない。喜茂別から札

幌へ出るときなど春紅葉と呼ぶ広葉樹の赤みを挿した色合いは紅葉のようである。秋の

紅葉は枯れ落下するが春紅葉は赤みからそれぞれの固有の緑へと逞しく変わっていく。

 

アマゾンから支払い番号が送られてくればなんとか復帰できるので、子どもたちには即メッセイジを送る。防犯ライトも金魚の水作エイトも今までは送ってもらっていたのである。ある時は竹箒、立木用剪定バサミ。竹箒も届くのです。笑えますが。雪が融けて外回りの最初の仕事が家の前の道路を掃くことですが、この時のための竹箒です。年に何度かは必要なのです。北海道では冬季間車はスパイクタイヤを装着するので舗装道路は直しても直しても穴ぼこになるのです。

支払い番号を待ってスタートする。

 

 

ブログ表記は悪魔の手が入って、前半部分がバラバラになっている。はてなでの記述は後半部の表記である。

 

 

202.5.17 今年もタムシバは咲かず

 

  

秋にタムシバの花芽がなくなったので咲かないのは解っていた。それでも、どんな風になるのかとなんども見にいった。去年植え替えたのは5月14日であるがそのときは花は終わって花柄が萎んで付いていた。その後の移植なので葉も弱々しかった。今年は本来の艶も厚さもあって山の木なので伸びてくるように思う。大きくなってから樹形を直すのは大変なことなので日に向かって伸びる様にすこし固定している。

 

 

昨日はいつの間にか破損しているレースのカーテンを直した。母の代からのカーテンなのでどのくらい使っているのかは定かではない。破損部分にジグザグミシンをかけていく。思いの他軽くしかも安定している。50年前20万だったミシンに負けない。いずれカーテンを新しくしなければならないのでこれで充分であった。ミシンは機械として完形なので古いミシンとの違いはボビンに下糸を巻く時の糸立棒と

言う物が横向きでついていたことであった。付属品の中に従来の縦型の棒があったので私は縦型糸立棒を立てた。機械は安定したスタイルがいいのではないか。ビックホーン以外の新しい車には乗ったことがないのでメーカーによって違いがあるのだろうかとふと気になった。なにか事故を起こしたおじいさんの車が違っていたような記憶がある。基本は同じにしておくことは大事ではないか? タクシーに乗ったときに新しい車の時はあれこれ聞いてしまう。それでも、図書館まで行くことも少なくなった。図書館の代わりをしているのがNHKラジオR1R2である。もともと充実していたのかは解らないが毎週聞こうと思う番組が何本かある。リスナーも90代の方も不思議ではない。ラジオ深夜便の4時台など、70代が後30年を考える澪標のようだ。

 

帯広もようやく春めいてきた。そろそろ苗ものを植える時期になってきたが去年は10本トマトを植えて食べきれず今年は減らさなくてはならない。瓶詰めにしたトマトも使わずに終わってしまった。ただ、阿多泥、スエーデンカブだけは重宝した。豊作だったので20リットルの堆肥の袋に2つ収穫したが、甘みもあり煮崩れもせず、色々の料理に使い春までに食べきってしまった。これから楽しい季節が始まる。

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

202. 5. 12 霧にもゆかぬ霞模様 帯広は新緑の季節

 

昨日は50年前のジャノメコンピューターミシンを出した。最後に使ったのは喜茂別だったように思うのでかれこれ10年位使っていない。端に模様を入れた布巾を作って子どもたちに送っていた様に思う。電源が入り糸巻き、針は動くが肝心の下糸を入れる蓋が開かない。張り付いている感じである。 

  

 

実は昨日から直線縫いが基本の新しいミシンを使い始めたのである。取説やWebをみても覚束なく結局昔のミシン感覚で使い始めた。途中で糸を糸通しで入れることになっていたがこれが巧く行かず肉眼で通した。こんな糸通しが使えるかと思っていたがなんと50年前のミシンにも付いていたのである。これも使ったことがなかったので当時も気に入らなかったということだ。

 

新しいミシンはシンガーミシン適当に設定しているのでどこかに誤りがあるのだろう。下糸が吊ってぐしゃぐしゃになった。下糸調整はどこだと探すが解らない。昨日はここで終わったのであるが、これから毎日習うより慣れろで対応する。

 

取説によれば布地が縮むときは上糸の掛け方が間違っていたり、上糸の糸調子が強かったりとあるのでどこかに間違いがあるようだ。

 

 

 

         

2022. 5. 10 にやってきた中古車業者の名刺をを見てみる。

サダト インターナショナル合同会社 所在地が石狩市新港であった。もう1枚は営業に来た業者だろうか?シェラレバニトレーディング株式会社 ここは中川郡本別町。名刺にはボクシングのアリと同じ名があった。ドア越しだったので気づかなかった。トラック、ショベルカー、自動車などの中古車、機械の輸出をしている会社であった、代表取締役も外国の人だった。十勝は農業の機械化も進んでいるので中古の機械がでるのだろうと思う。売り込み先の人が現地にいれば必要とされている機械を的確に判断できるのだろう。

 

 

石狩時代は写真は現像していたのであるが、そういえば写真の現像機を写真やさんが換えた時前の新しかった現像機はどうなるのかと聞いたことがあった。その機械は中国に送ると言っていた。素敵な1枚と思っていた写真が実はおじさんが1枚1枚手を入れてくれていたのである。その時に写真の加工についても習った。パソコンに取り入れそのままWebに載せるようになったいまでも、その時の技術である。

 

2022.5.10 帯広は穏やかな1日。

ラジオを聞いていて春の1日を若緑と呼んでいて、そう昨日がそうだったと思う。萌えるような若葉が一斉に出る日、その新緑は照り輝いていた。翌日何事もなかったような日常の色となった。桜では芽出しの初々しさというようであるが、天候もよかったのではらりと開いた。

 

例年はバラの剪定をゴールデンウィークにするが、今年はそれほど伸びてはいない。当面堆肥入れをしなければならない。冬の間に根元の土が少なくなっているので根元を覆う程度に載せていく。それでもまだ半分も終わらない。二階から庭を見るとどの木も1年で随分大きくなった。40センチほどのシャクナゲが2メートルになるのには30年かかるのだそうだ。2メートルのシャクナゲの値段を聞いてみると12万円だった。とても買えそうもないので40センチを4本植えることにした。30年後2メートルになるなら充分である。

 

春仕事としては物置の整理をしなければならないが、あまりの詰め込み様なので夏までの課題といったところである。それでも、我が友ビックホーンだけは片付けた。分別収集にだす資源ごみを分け振り分けていく。ビックホーンには資源分別収蔵庫の張り紙を付けた。

 

バンパーが痛んでいるので捨てる車にみえるのだろう。昨日は石狩の中古車業者がやってきたが売りませんと答えた。気が変わると思うのか車には会社の名刺が窓に挟んであった。どういう伝があってこんな遠くまで営業にくるのだろうか?もう2度目である。バンパーとステップは痛んでいるが車内は昔に変わらない。

 

一時期営巣期に入ったようにみえたすずめたちがまた賑やかに鳴き渡っている。

このすずめたちはどういうすずめなのかと眺め入っている。

 

オークションで買った着物類をばさばさ切った時期があった。昨日は洗い張りのように洗いアイロンを掛けた。アイロンを掛けながら昔の人はなんと呼んだか忘れてしまったが洗い張りの竹を渡して均等にもとの幅に戻したものを、アイロンでもちりめん地はそれほど広がらなかった。