202. 5. 12 霧にもゆかぬ霞模様 帯広は新緑の季節

 

昨日は50年前のジャノメコンピューターミシンを出した。最後に使ったのは喜茂別だったように思うのでかれこれ10年位使っていない。端に模様を入れた布巾を作って子どもたちに送っていた様に思う。電源が入り糸巻き、針は動くが肝心の下糸を入れる蓋が開かない。張り付いている感じである。 

  

 

実は昨日から直線縫いが基本の新しいミシンを使い始めたのである。取説やWebをみても覚束なく結局昔のミシン感覚で使い始めた。途中で糸を糸通しで入れることになっていたがこれが巧く行かず肉眼で通した。こんな糸通しが使えるかと思っていたがなんと50年前のミシンにも付いていたのである。これも使ったことがなかったので当時も気に入らなかったということだ。

 

新しいミシンはシンガーミシン適当に設定しているのでどこかに誤りがあるのだろう。下糸が吊ってぐしゃぐしゃになった。下糸調整はどこだと探すが解らない。昨日はここで終わったのであるが、これから毎日習うより慣れろで対応する。

 

取説によれば布地が縮むときは上糸の掛け方が間違っていたり、上糸の糸調子が強かったりとあるのでどこかに間違いがあるようだ。

 

 

 

         

2022. 5. 10 にやってきた中古車業者の名刺をを見てみる。

サダト インターナショナル合同会社 所在地が石狩市新港であった。もう1枚は営業に来た業者だろうか?シェラレバニトレーディング株式会社 ここは中川郡本別町。名刺にはボクシングのアリと同じ名があった。ドア越しだったので気づかなかった。トラック、ショベルカー、自動車などの中古車、機械の輸出をしている会社であった、代表取締役も外国の人だった。十勝は農業の機械化も進んでいるので中古の機械がでるのだろうと思う。売り込み先の人が現地にいれば必要とされている機械を的確に判断できるのだろう。

 

 

石狩時代は写真は現像していたのであるが、そういえば写真の現像機を写真やさんが換えた時前の新しかった現像機はどうなるのかと聞いたことがあった。その機械は中国に送ると言っていた。素敵な1枚と思っていた写真が実はおじさんが1枚1枚手を入れてくれていたのである。その時に写真の加工についても習った。パソコンに取り入れそのままWebに載せるようになったいまでも、その時の技術である。