2023.2.4 いよいよ後期高齢者。

2月になって日差しも変わって来た。オンコの上の雪も溶け出して樹形が上がってゆく。その上にすずたちが並んでいる。帯広の日の出の時間は7時ころであるが東の空が薄っすらと赤みが射してきた。昔と比べて暖かである。住まいも暖房も衣服も全てが良くなっている。ひとり小学校時代にはお弁当を石炭ストーブに並べて温まったお弁当の匂いがしたことを思い出す。1960年代木材の町であったその町ではおがくずストーブが町の人の暖房であり我が家もおがくずストーブだった。一冬のおがくずを収めるおおきな物置が付いていた。ストーブの上におがくずを入れる大きな筒を置いた。下から温まり落ちてゆく。夏の間は木の皮を剥き燃料にする。近くのおばさんに連れられて母と出かけたが木の皮の香りは高く分厚いその皮を帰りは背負ってくるのである。当然続かなかった。まだガスのない時代だったのではないだろうか?薪割りは子どもながら好きだった。マサカリは大人と同じ物を使ったが、安定して同じ高さから割ることが求められるのでその作業は好きだった。

 

小学4年までは違う学校だった。そこでは今の給食の前身に当たる味噌汁給食が行われていた。地域ごとに先生たちと親の工夫で様々な取り組みが行われていた。味噌汁給食は朝教壇にブリキのバケツが置かれていて子どもたちがお椀に1杯の野菜など具材を持ち寄って入れ、学校が魚の缶詰やお肉を足して味噌汁にして出してくれるのであった。梅干しだけのお弁当などがある時代だったからこの1杯の味噌汁給食はどんなにか温まるものだっただろう。

 

朝11時帯広の空はこんなに明るい。2階に暖房は入れていないのだがこんなに氷柱ができている。帯広の怪も住みやすい町作りには解決しなければならない課題である。後期高齢者もみんな出番ですよ!

 

朝2階の2重窓はこんなに氷着いている。下は今風ペアガラスなのでこうはならない。

寝ていて朝起きると手につけていた形見のダイヤの指輪がガラスになっていたり預かりものの大きなダイヤの髪飾りがガラスになっている。我が家で起きていることは帯広のあちこちで起きているはずだ。如何に処すべきか知る人はいるであろう。